釈由美子さんが過去にパニック障害を患っていたことはご存知でしょうか?
現在の元気な姿から想像できない方も多いと思います。釈由美子さんは実はデビュー当初ずっとパニック障害と闘いながら仕事をしていました。
世の中に知られるようになったのは、うまく自分をコントロールして回復してからのことです。
ご自身のブログでパニック障害だったことを告白して大きな話題になりました。
はたして釈由美子さんは、どのようにして自分でパニック障害を乗り越えて今に至っているのでしょうか。
釈由美子さんのパニック障害歴
釈由美子さんは1978年生まれで女優、タレントとして今も活躍しています。
釈由美子さんが芸能界にデビューしたのは学習院女子短期大学に在学していた1997年のときで、グラビアアイドルとしての活動を開始しています。
1999年からテレビドラマに常に出演しているくらいに人気の女優になり、舞台や映画でも活躍してきました。
ただ、このデビュー初期は釈由美子さんにとって闘いだったと言わざるを得ません。
10代後半から続いていたパニック障害
釈由美子さんは2019年に、自身が10代後半から20代にかけてパニック障害を抱えていたことを自身のブログで公開しました。
バラエティ番組「世界一受けたい授業」でもその体験を語り、多くの人々に衝撃を与えました。有名人であるからこそ、パニック障害を持っていたことを公にするのは躊躇するものです。
しかし、その事実を公開したことは、彼女がその病を克服し、それを共有する勇気を持つまでになったことを示しています。
釈由美子さんが苦しんだ2つの症状
10代から発症したパニック障害で、釈由美子さんが特に苦しかったと記憶している症状が2つあります。
その1つ目は過呼吸です。過呼吸は、経験したことがない人にはその苦しさを理解するのが難しいほどの厳しい症状です。
息が荒くなり、自分の意志とは無関係に呼吸が速くなる感覚に陥り、それが原因でさらに苦しくなってしまいます。
釈由美子さんは短大時代に過呼吸で救急車に運ばれた経験もあると公に語っています。その時期は芸能界デビューとタイミングが一致しており、不安を抱えつつも自分がやりたいことを追求しようと決意した時期でもありました。
釈由美子さんが苦しんだ2つ目の症状は摂食障害です。食事が摂れない、または食事を摂った後に吐いてしまうというのが典型的な症状です。
これにより栄養失調に陥り、体調が悪化します。元気が出ない状況ながらも、デビューしたばかりであるために頑張らなければならず、美容面でネガティブな印象を与えないようにしなければならないというプレッシャーが続きました。
その結果、20代は症状が悪化する一方で、「闇」のような時期だったと彼女は述べています。
釈由美子さんの人生が変わった考え方
釈由美子さんは「闇」の時期であった20代から脱出し、30代に入ると自己反省という意識が芽生えてきました。
30代前半の時期には、芸能界での自身の存在意義に疑問を感じるほどでした。
しかし、このような思いを抱くことが、逆に自己分析を深め、人生を変えるきっかけを自分自身で作るトリガーとなりました。
釈由美子さんは、「誰かに幸せにしてもらいたい」という強い願望を持っていたと語っています。特に異性への依存傾向が強かったとも述べています。
四姉妹の末っ子であったことも、この感情の一因であったかもしれません。
しかし、この状況から脱却したいという思いが芽生え、自分自身で自分を幸せにするという意識が生まれたことが、彼女の回復へのきっかけとなりました。
「体と心の声に敏感になった」というのは釈由美子さんの言葉です。
フルーツや野菜、玄米などの身体によいと言われる食べ物を選ぶようになってからだんだんと心が前向きになりました。パニック障害の症状を押さえるための薬も必要がなくなり、30代半ばになって症状がなくなるくらいまで回復しています。
「よく食べ、よく寝て、よく遊ぶ」とご自身で言えるくらいに克服することができています。
現在の状況
釈由美子さんは強い意志を持ち、パニック障害を抱えながらも闘い続け、芸能活動を継続してきました。
現在ではプラチナムプロダクションに所属し、水曜ドラマ「ソロ活女子のススメ3」などに出演、2021年には、カナダ映画「ロックダウン・ホテル 死・霊・感・染」に出演し、海外デビューを果たしています。
また、プライベートでも一児の母としても幸せな生活を送っています。
まとめ
釈由美子さんは10代後半という若い時期に、パニック障害による過呼吸と摂食障害という日々を不安に満ちた状態で過ごしてきました。
それでも、芸能界へのデビューチャンスを逃さず、努力を続け、自分自身を変えるためにパニック障害を克服するために必死になりました。
釈由美子さんは、命に関わる可能性のある過呼吸と摂食障害という2つの症状を同時に抱えていました。そのため、自分自身の考え方を真剣に見直し、変える必要があると感じ、そのための努力を惜しまなかったのでしょう。
10代後半から30代半ばまでの約15年間は、非常に苦しい状況だったと思われます。精神的に安定してきた今、彼女は自身の経験を告白し、パニック障害を抱える人々に何か貢献しようという気持ちを持つようになっているようです。
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